子どものころから、温かい家族に憧れていました。
好きな人と結婚して、
子どもを産んで、
お母さんになって、お父さんになって。
学生のころの私は、
家族というものは、そうやってできていくものだと思っていました。
まさか、
子どもを産んでいない私が、
ある日突然「お母さん」になる未来なんて、
想像すらしたことがなかったんです。
突然、お母さんになった日
ある日の夕方。
仕事から家に帰ると、
そこに小学生の男の子と義母がいました。
朝、夫から言われた言葉が、
そのとき初めて現実になりました。
「今日、息子とおばあちゃんが来るから」
「これから日本で一緒に暮らすことにしたから」
朝はあまりにも突然すぎて、
その言葉の意味をちゃんと受け止められていなかったのだと思います。
でも夕方、
目の前には本当に「息子」がいました。
私はその日、
何の準備もないまま、
小学生だったその子と向き合うことになりました。
ここから、その子のことを「長男」と書くことにします。
長男は、日本語がほとんど話せませんでした。
小学3年生の3学期。
日本語も、
学校のルールも、
周りの子が何を話しているのかもよくわからないまま、
日本人の子どもばかりが通う、
片田舎の公立小学校へ通い始めました。
今になって思えば、
突然、日本というまったく違う世界の中に、
ひとり放り込まれたようなものだったと思います。
どれほど心細かっただろう。
でも当時の私は、
そこまで思いやる余裕がありませんでした。
なぜなら私自身も、
「〇〇君のお母さん」
と呼ばれるたびに、
大きな違和感を抱えていたからです。
先生からも、
同級生のお母さんたちからも、
私は当たり前のように
「〇〇君のお母さん」と呼ばれます。
でも私の中にはずっと、
「私がお母さん?」
という気持ちがありました。
自分が産んだわけでもない。
小さいころから育ててきたわけでもない。
昨日までほとんど知らなかった子どもが、
突然、自分の「息子」になった。
そして私は、
今日からあなたはこの子のお母さんです、
と言われたような感覚でした。
「この学校は、息子さんには合わないと思います」
そんなある日。
長男の担任の先生に呼ばれました。
二者面談でした。
私は、
小学生用の少し小さな机と椅子に腰かけていました。
少し古びた教室の中を見回しながら、
「ああ、小学校の教室ってこんな感じだったな」
なんて、
一瞬だけ自分が小学生に戻ったような、
懐かしい気持ちになっていました。
そんな私に、
担任の先生が言いました。
「この学校は、息子さんには合わないと思います」
そして、
「近くに息子さんのような子を受け入れている学校があります。
そちらに転校されてはどうですか?」
突然放たれた、その言葉。
それまで私は、
「〇〇君のお母さん」
と呼ばれることに、
ずっと違和感しかありませんでした。
だけど、その瞬間。
「この子を、この学校から出すってこと?」
そう思ったんです。
日本語ができないから?
ほかの子と違うから?
それだけで、
ここにはいられないってこと?
そのとき初めて、
目の前にいるこの子を
「守らなきゃ」
と思ったのかもしれません。
それまで違和感しかなかった
「母親」という言葉が、
その瞬間だけ、少し自分の中に入ってきた気がしました。
私はこの子の母親になって、
まだ2か月ちょっとしか経っていませんでした。
長男が日本に来てから、
最初の3か月ほどは義母たちも一緒に暮らしていました。
そして義母たちが帰ると、
日常のほとんどが、
私と長男の二人になりました。
当時の夫は、
朝早く家を出て、
帰ってくるのは最終電車。
だから朝起きてから、
学校へ送り出して、
帰ってきて、
夜眠るまで、
長男と向き合うのは、
ほとんど私でした。
そもそも私は、
「母親になる」
という自覚を、
ほとんど持たないまま母親になっていました。
だから毎日が、
「えっ?」
「なんで?」
「これもできないの?」
の連続でした。
私はそれまで、
普通の小学3年生や4年生が、
どんなことを自分でできるのかさえ知りませんでした。
だから比べる相手は、
なぜかいつも、
子どものころの自分。
「私、このくらいのときにはできてたよね?」
「これは自分でやってたよね?」
今思えば、
長男からしたら、
たまったもんじゃなかったと思います。
ただでさえ、
何を言っているのかよくわからない、
突然現れたおばさんに、
そのおばさんの子ども時代と比べられるんですから。
「知らんがな」
と言いたかったことでしょう。
私の「普通」で長男を見ていた
義母が帰ったあと、
そのころには、
長男も少しずつ日本語がわかるようになっていました。
ある朝。
学校へ行く時間になっても、
長男がなかなか部屋から出てきませんでした。
どうしたんだろうと思って、
長男の部屋へ行くと、
まだパジャマのままでした。
「どうしたの? 着替えないの?」
そう聞くと、
長男は理解したのか、雰囲気でわかったのか、
「何を着ればいいかわからない」
と言いました。
私は、
その言葉の意味がすぐには理解できず、
少しの間、言葉が出ませんでした。
「え? 服くらい自分で選べるでしょ?」
本気でそう思いました。
この子は、どれだけ過保護に育てられてきたんだ。
自分で着ていく服くらい、
自分で選びなさい。
そんなことを、
心の中で思いながら、長男の服選びを手伝いました。
今振り返ると、
長男にとっては、
「自分が着る服を自分で選ぶ」
ということ自体、
初めての経験だったのかもしれません。
あのころの私は、
長男がどんなふうに育ってきたのかも、
これまで誰が服を選んでくれていたのかも、
何を当たり前として生きてきたのかも、
何も知らなかった。
私にとって、
「学校へ着ていく服は自分で選ぶ」
ということは、
あまりにも当たり前のことでした。
だから、
それができない長男を見て、
「なぜできないんだろう」
としか思えなかった。
でも長男にとっては、
自分で服を選ぶことのほうが、
当たり前ではなかったのかもしれません。
私は、
私の「普通」で長男を見ていました。
長男もまた、
突然、日本という知らない国に連れてこられ、
言葉の通じない学校へ入れられ、
そして家に帰れば、
何を言っているのかよくわからない女の人が、
突然「お母さん」になっていたのです。
お互いに、
相手のことなんて、
何ひとつわかっていなかった。
私は長男のことを知らなかった。
きっと長男も、
私のことを知らなかった。
それでも私たちは、
その日から、
親子になっていくしかありませんでした。
今になって振り返ると、
あのころの私は、
目の前のことに必死で、
長男の不安まで想像する余裕がありませんでした。
でもきっと、
私よりずっと不安だったのは、
長男のほうだったのだと思います。
知らない国。
知らない学校。
言葉も通じない。
そして、
突然「お母さん」になった、
よく知らない女の人。
それでも長男は、
毎日学校へ行き、
少しずつ日本語を覚え、
新しい生活の中で生きていました。
今思えば、
本当によく頑張っていたなと思います。
日本語がわからない子どもと、
その子の母国語がわからない母親。そんな二人の、
親子のはじまりでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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すごいご経験をされておられるのですね😳
尊敬、という言葉しか出てこないです。
浅い言葉しか出てこないです。
ちょっと…え?帰ってきたらお母さんになった…?はなももさんの過去を受け入れられずに何度か読み直して、現実なんだなとこのコメント欄に来ました。突然”お母さん”になって、見た景色。経験したできごと。ひとつひとつ乗りこえてきた気持ち。。これからも楽しみに読みに来ます🙌