1通の手紙が、見える世界を変えた話
〜誰かの言葉で、思い出まで消さなくていい〜
今日は、少し重たい私のストーリーです。
心がしんどい方は、どうぞ、ここで記事を閉じてください。
「実は嫌いだった」
この文字を見ただけで、
頭の中が真っ白になりました。
高校を卒業した春。
私は短大への入学を前に、毎日のように自動車学校へ通っていました。
初めて自分で車を動かせることが、楽しくて仕方ありませんでした。
これから始まる新生活にも、少しだけワクワクしていました。
そんなある日、
自宅に1通の手紙が届きました。
差出人は、
高校3年間、同じクラスだった子でした。
特に2年生と3年生のころは、ほとんどいつも一緒でした。
お弁当も、移動教室も、学校行事も。 家に泊まりに行ったこともあります。
私は、疑うことなく「仲のいい友達」だと思っていました。
当時は、ポケベルやピッチの時代
手紙を送ってくるなんて、
どうしたんだろう?
何かあったのかな?
そんなことを思いながら、封を開けました。
その手紙のはじまりは、たぶん、
「卒業したね」
というような、軽い内容だったのだと思います。
けれど、そのあとの言葉が強烈すぎて、
ほかに何が書かれていたのかは、ほとんど覚えていません。
文中に書かれていたことば、
実はキライだった
え。
嫌いだったの?
今さら?
なんで卒業してから言うの?
その先を読んだ記憶が、ほとんどありません。
手紙が届いたことさえ、
夢だったのではないかと思うほど、
その前後の記憶には白い靄がかかっています。
ただ、
ココロに残っていることがあります。
その夜、
私は中学時代の親友へ電話をかけました。
手紙を読んだ衝撃を、
誰かに聞いてほしかったんです。
いや、誰かにではなくて、
その親友に慰めてほしかったんだと思います。
そのころも、
私は家の店を手伝っていました。
夜になると、
おしぼりをたたむのが私の仕事でした。
誰もいない喫茶店のカウンターの奥には、
1台のピンクの公衆電話が置いてありました。
私は100円玉を入れ、
福井へ引っ越してしまったその親友の電話番号を回しました。
ジーコ、ジーコ
明かりもつけずに、
母も誰もいない店の中で、そのダイヤルを回す音だけ響く。
私は、たった一人、
ピンクの公衆電話の前に座っていました。
泣くわけでもなく、
怒るわけでもなく、
ただ、ただ、
なんで。
どうして今さら、
手紙にまで書いて送ってきたんだろう。
彼女と、一緒に笑いあっていた時間。
彼女と、一緒にお弁当を食べた時間。
彼女と、一緒に行動を共にしていた時間。
あれは、なんだったのだろう。
私だけが、仲がいいと思っていたの?
私は親友に、
「今さら、わざわざ手紙で伝える必要があるの?」
と聞いていました。
親友は、ただ私の話を聞いてくれました。
特別なことを言うわけでもなく、
「仲はよかったんでしょ?」と、それくらいだったように思います。
たったひとつの出来事で、
色のついていた高校生活の思い出が、グレーに変わってしまいました。
それ以来、高校の卒業アルバムを見ることが出来なくなりました。
どんな顔で、
どんな気持ちで見ればいいのか、わからなくなってしまったからです。
2枚ほどの便箋に書かれていた手紙。
けれど、
私の中に残ったのは、
「実はキライだった」
その一文だけでした。
ほかに何が書かれていたのか、まったく覚えていません。
その手紙を捨てたのか、燃やしたのか、覚えていませんが。
たぶん、燃やしたような気がします。
誰にも見られたくなかった。
母親や兄弟、誰にも。
そんな手紙をもらった自分のことでさえ、消してしまいたかった。
今でも、この出来事を思い出すと、ココロがチクッとします。
けれど、
今だから、わかることがあります。
私は、あの手紙だけに傷ついたのではありません。
「実は嫌いだった」
その言葉を見た瞬間、
私は小学生のころへ引き戻されたのです。
祖母に、
「キライ」
と言われた、あの日へ。
また言われてしまった。
あのとき心に刺さったものが、
同じ場所にもう一度刺さったようでした。
もちろん、今なら少しはわかります。
その子にも、その子の気持ちがあったのだと思います。
私が気づかないところで、
何かを我慢していたのかもしれません。
私が知らないうちに、
その子を嫌な気持ちにさせていたのかもしれません。
でも、当時の私は、
そんなふうに考える余裕なんてありませんでした。
ただ、
嫌われていたんだ。
そう思うだけで、
いっぱいいっぱいでした。
あれから15年ほどたったころだと思います。
Facebookに友達申請が届きました。
結婚後の名字だったため、私は誰なのかわからず、
半年ほど放置していました。
それなのに、ある日なぜか、
承認ボタンを押しました。
写真を拡大して見て、ようやく気づきました。
あ。
あの子だ。
あの手紙の子だ。
その瞬間、胸の奥がざわざわっとしました。
「もう昔のことだから」
「お互い大人になったのだから」
そんなふうには、少しも思えませんでした。
なんで、今さら?
何がしたいの?
また、キライって言いたいの?
私は、あのとき相談した親友に、再び電話をかけていました。
今度はスマホで(笑)
その後、彼女の投稿が流れてこないように設定を変え、
私の投稿も、彼女から見えないようにしました。
見たくなかったのです。
嫌いというより、
たぶん、まだ怖かった。
当時のわたしに引き戻されることが。
言葉って、すごいです。
いい意味でも、悪い意味でも。
たった一文で、
それまでの思い出の見え方まで変えてしまうことがある。
その言葉は、私の中に長く残りました。
今でも消えてはいません。
あの状況を再現することもできないので、
記憶を上書きすることもできません。
なので、わたしは、たまに、その手紙のことを親友と話をすることがあります。
ごく、ごく、たまーにですが。
だから私は、言葉が怖いです。
でも同時に、
言葉に救われることもあると知っています。
誰かの一言で傷つく日もある。
誰かの一言で、少し息ができる日もある。
だから、
言葉を大切に扱いたいなと思うわたしがいます。
きれいな言葉だけを使いたい、ということではありません。
本音を隠して、いい人でいたい、ということでもありません。
ただ、
言葉は、
思っている以上に、長く残る。。
私の放った言葉が、
誰かの心の片隅に残るのだとしたら、
それは、できるだけ優しい言葉でありたい。
それだけは、忘れたくないと思っています。
小学生の時、祖母にキライと言われて以来、本音を話すことが苦手になり、
いつも人の顔色をうかがって生きてきました。
本当の気持ちを話せば怒られる。
本当のことを話せば、無視される。
黙っていることが、
自分を守る方法になっていたのだと思います。
だから、わたしは
人と話すよりも一人でいる方がスキだと思う自分を作り上げていきました。
その方が、傷つかずに済むからです。
人との境界線をひくことで、自分の身を守っていたんだと思います。
今なら、
あの手紙を受け取った私に言ってあげたいです。
あなたが楽しいと思っていた時間まで、
全部なかったことにしなくていいよ。
誰かの言葉で、
自分の思い出をすべて塗り替えなくてもいい。
あなたにとって楽しかった時間は、
ちゃんと楽しかった時間だったんだよ。
あの手紙は、私の見える世界を変えました。
その記憶は、今も完全には消えていません。
でも私は今、
自分の言葉で、その記憶を少しずつほどいています。
言葉は、人を傷つけることがある。
けれど、
言葉によってほどけていく記憶もあるのかもしれません。
今は、そんなふうに思っています。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。




正直に言うと めちゃくちゃムカついた💢
一緒にいた時間返せ!
でも友達申請の話で何か別の意味のキライやった?ともちょっと感じたけど
でなければ 無神経極まりないただのアホ
僕は中学時代ある日突然無視された経験がある
辛かった でも平気な態度で痩せ我慢してたら
次は数人に囲まれて暴力できた 大ゲンカになった
殴り合って笑顔でわかり合えたなんてならない
それからは近寄ってこなかったし話をする気さえなかった 正直63歳になった今も時々思い出す
あんなこともあったなーと笑う気もない
今もし会っても話さないし殴るかもしれない
人として修行がたらないかもしれない
でも わざわざ「キライ」と送る人間を僕は完全に拒否するし認めない
あれ ちょっと長すぎ? 何が言いたいか
顔で笑ってココロで抹殺(笑)
やっぱりまだまだ修行がたらんのかもなぁー
言葉は重いですよね。たった何文字かの記号、何シラブルかの音声。受け取った者はその言葉に自分の心のなかで意味をつなぎます。そしてずっとその意味を握りしめていきます。一方、言葉を発した側も、そのときその言葉を伝えなくてはいられない心の重りがあったのかもしれません。そのお友達も、おばあ様も。母の言葉を今ではそのように見ようと思っています。