夏休みの絵日記が、大嫌いだった話
小学2年生の私が、家族のかたちに気づいた日
小学2年生の私は、
夏休みの絵日記が大嫌いでした。
絵を描くことや、日記を書くことが嫌いだったわけでもありません。
大嫌いだったのは、その絵日記が廊下に貼り出されること。そして、その絵日記をもとに、クラス全員の前で発表させられることでした。
声の小さいわたしは、いつも言われる「聞こえませーん」に、いつもビクビクしていました。
夏休み明けの教室は、いつもと違います。
宿題を忘れた子。夏休みの思い出話で盛り上がる子。にぎやかで、少しざわついている雰囲気。その空気が、わたしはいつも苦手でした。
絵日記の発表
友達の発表を聞くのは、嫌いではなく、
むしろ、聞いていて楽しそうだなあと思っていました。
家族と旅行に行った話
家族と海に行った話
家族とおばあちゃんの家に行った話
そんな話が、次々に出てくるので、いつも教室の机の席で友達の発表をワクワクしながら聞いていました。
でも、友達の発表を聞いているうちに、私はだんだんソワソワして、ドキドキし始めるのです。
わたしの絵日記だけ、
「家族」というキーワードが出てこない。
わたしの絵日記は、いつも同じ。
おじいちゃんの家で蚕の世話を手伝う内容でした。
わたしは、母から夏休みには、祖父母の家に行くように言われていました。
だから、
いつも7月22日ころには、祖父母の家にいたんですよね。そこから長い長いわたしの夏休みが始まります。
祖父母は、蚕を飼って生計を立てていました。
祖父母にとって、夏休みに行く孫の私は、蚕のお世話要員の一人になるわけです。
もちろん、祖父母からは大事にしてもらった記憶しかありません。あの時間があるから、今の私があるなとも思っています。
大きな小屋の中で、蚕が桑の葉を食べるシャリシャリという音だけが小屋中に響く。
右も左も蚕だらけ。一体、何匹いるんだろう。
毎日、桑の葉を取ってきては食べさせる。
夕飯の支度をしに家に戻るおばあちゃんの肩には、たまに蚕が乗っている。
孫のわたしが、おばあちゃん、肩に蚕がいる~と叫ぶと、祖母は、「お蚕さん」と呼び、あの白いうねうねとした生物を愛おしそうに見つめてキスをする。
それを今、思い出すだけでもカラダに虫唾が走ります。
小学生のわたしにとって、蚕と接する時間は、ある意味、忍耐に近かった。
何かの罰ゲームなのだろうか。それとも、これが私の運命というやつなのか。
桑の葉を、耕運機に乗って取りに行くときだけが、蚕のお世話で唯一、好きな時間でした。
でも、蚕にエサをあげるのだけは、もう勘弁してほしいと毎日のように願いながら、祖父母を手伝っていたんですよね。
当時、祖父母から言われた言葉が、「働かざる者食うべからず」だったので、頑張るしかなかった。
これが夏休みの間中、続くわけなんです。
今思えば、それは貴重な経験だったのかもしれません。
なんてことは、到底言えないし、言いたくない。何度見ても、どれだけお世話しても、うねうねと動く蚕が苦手なんです。
けれど、おじいちゃんの家にいる夏休みの1か月は、わたしにとって、しあわせな時間でもありました。
私が望んでいた、みんなでご飯を食べる時間があったからです。
しかも、
朝も昼も夜も、1日3食、必ずみんなで食べる時間。自分の母や父、兄弟とは持てない時間が、祖父母の家では持てるのが嬉しかったんです。
ただ、クラスメイトの絵日記発表を聞いていて、私は小さな衝撃を受けたんですよね。
あれ?夏休みって、家族でお出かけするものなの?家族で一緒に何かをするものなの?そんなふうに、どことなく気づいてしまった感じです。
そして、もうひとつ。
え、みんな家族でご飯食べるの?家族は一緒に食卓を囲むものなんだ。
そのことに一番衝撃を受けたのも、この絵日記発表がきっかけでした。
教室で聞く友達の『家族』という言葉の響きは、
わたしの思っていた家族と、全く違う温度を持っているようで
みんなの普通が強烈に自分の中に入ってきた感覚でした
それまでの私は、自分の家のかたちを特別だとは思っていませんでした。
父親は、常に家にいない人だったし、母親は自営業で忙しかった。
歳の離れた兄弟は、中学生と高校生だったので、それなりに忙しくて、小学生の妹の私は、ほとんど相手にしてもらえませんでした。
常に家にいるのは、わたしを嫌いと言った祖母と私だけ。
だから、私は、家族というのは、いつも一緒にいるものではない。常にバラバラしているもの。それが、私の中の当たり前でした。
でも、友達の絵日記を聞いているうちに、その当たり前が、崩された気分になっていったんですよね。
まるで、わたしだけ違う世界にいるような感覚。
大半のクラスの生徒の絵日記は、家族との思い出。それが私には、まぶしくて羨ましかった。そんな感覚だけが、今も残っています。
魔の小2と名づけたくなるくらい、あの頃の私はいろんなことを感じていたのかもしれません。
当たり前だと思っていたことが、誰かにとっては当たり前ではない。
そんなことを、私はあの日に感じたのかもしれません。
幼すぎて、それを理解していたかどうかといえば、わからないけど、ただ、思うのは、私の当たり前と、あの人の当たり前には、大きな差があるということでした。
そんな経験があったからこそ、その後の私というのは、
「もし、その人にとってそれが当たり前だったら、どんなふうに感じるんだろう」
「どんなふうに思うんだろう」と考える癖がついたように思います。
当たり前の世界は、人それぞれです。
その世界に、そっと顔を出すことはあっても、深く入り込みすぎない。私はそんなふうに、少しずつ人との境界線を張ってきたのかもしれません。
その人の世界の前で、まるで映画館にいるかのように、「そういうワンシーンなんだね」と静かに見つめるような距離感。
それが自分で、自分を守るためのものでもあり、相手の世界を勝手に決めつけないわたしなりの方法だったんだと、今ならわかる気がします。
あの日、夏休みの絵日記を聞いていた小学2年生の私へ。
うらやましかったよね。
家族で過ごす夏休みが、まぶしく見えたよね。
自分の当たり前が、誰かの当たり前とは違うと知って、少し寂しかったよね。
でも、その寂しさがあったから、
人それぞれの当たり前に、そっと目を向けられるようになったのかもしれません。
この先も見守ってみたいと思ってくださった方は、
登録してもらえたらうれしいです。
<魔の小2>小学2年に体験したわたしの話





僕も絵日記が嫌いだった。そもそも毎日つけなきゃいけない日記が嫌い。その上に絵まで描かなきゃいけないなんて。
両親とも東京生まれの僕は田舎がある友達が羨ましかった。無理を言って、いとこの田舎に連れていってもらいました。
そこに蚕がいたんだよね。僕は青虫だの毛虫だのは嫌い。でも、蚕だけは特別。白くてスベスベしていて、何だか神秘的に感じたよ。
自分が思っていた当たり前が崩れるのは、ときに衝撃的ですね。
そして、自分が本当は欲しかったものが当たり前に得られている人がいると知った衝撃。
これもまた幼少期のはなももさんに大きな影響を与えたのかも知れませんね。
もちろん大人になれば「まぁ、いろいろあるよね〜😆」と割り切れる部分もあるとは思いますが、それでもそれはあくまで「頭では割り切れる」というだけなのかも。
心の底ではまだ、小学2年生のころのあの子が、何かしら思いを抱えたまま立ち尽くしているのかも知れませんね。
ちゃんとその思いを文字に、文章にしてあげたはなももさん、素晴らしいです😌🌸🍑